井沢元彦さんが、元禄赤穂事件を「逆説の日本史」で取り上げていた。
案の定、私と同じ論調だ。
様々な論拠が挙げられていて、私の素朴な常識感覚で感じたことを代弁してくれているのがありがたい。実はこの「常識を働かせる」というのが、歴史を読む際に重要なのだと井沢さんが常々強調していることなのだ。
それを読んでも、ますます吉良義央の被害の深刻さを思い知らされる。
なぜ討ち入りがやすやすと成功し、討ち入り方に死傷者が出なかったのか?
井沢さんは、吉良方がよもやそのような非常識な犯罪行為が起こるとは思わなかったからだという。非常識な犯罪行為であることは、大石良雄も承知していたようだというのだ。
浅野長矩の乱心は、多くの家臣が納得したという。「ああ、ついにやっちゃったか」という感覚らしい。
そして、長矩の切腹も、赤穂城明け渡しも、当然のことと受け止めたらしい。
しかし大石が納得できなかったのは、乱心ならば本人はともかくお家は断絶とはならないはずなのに、長矩の弟である長広が蟄居させられ、お家断絶とされたことだという。
そこで、一か八かの討ち入り行為に出、忠臣をアピールすることでお家存続を狙ったのだという。
この企てはまんまと成功し、浅野長広はその後旗本として復活する。
つまりは、吉良義央はお家存続という大石の野望のために殺害され、浅野家の犠牲となって吉良家は断絶してしまったのだ。
そして、その過程で、あらゆる利害関係者が、吉良義央を貶めていく。その過程を見ていると、背筋が凍るようだ。
このあたりの経緯は次回に。
そして、ひとつ付け加えておくが、これと同じような恐ろしいことが、この21世紀にも起きているのだ。これについても、いずれ書くことにしよう。
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