木曜日, 6月 28, 2007

沖縄戦で住民に自殺を強制したのは誰か

日本兵が天皇陛下のために自殺しろと強制したと考えるのは、確かに無理がある。

しかし、情報の漏洩を恐れて自殺を強制したという新聞記事には瞠目した。合理的な理由だ。

したがって、日本軍が住民を投降でなく自殺へ追いやったことには事実だろう。
それが、間接的なマインドコントロールによるとしてもだ。

このことを教科書から削除するのは政治的意図によるものだ。日本がおかしくなり始めている。
監視を強めなければ。そろそろお灸をすえてもいい時期だ。

自衛隊の情報収集

自衛隊がイラク派遣に反対する人に関して情報を収集していたらしい。これは大問題だ。絶対に看過することはできない。

しかし、その後この件はマスコミから消えた。

共産党が最初に指摘したのが悪かった。
共産党が指摘したとなれば、本来追求すべきこともシカトされてしまう。

頼むから共産党(それに社民党)、こういう大事な問題には口を挟まないでくれ。逆効果になる。

火曜日, 12月 05, 2006

北京が変わった?

朝6時、首都高は空いている、とすれば皆80キロでぶっ飛ばす時間帯だ。

今、北京の朝6時、目の前のがらがらの幹線道路を車が粛々と走っている。60キロも超えていない。これはどうしたことか?私のイメージでは中国ではもっと運転は荒かったはずだが。。。 そういえばこちらに来て乗ったタクシーも妙に安全運転だった。

2008年へ向けて何かのキャンペーンが行われているのか。

交通マナーを守る中国人。となれば、ますます日本の立場は危ういだろう。

月曜日, 11月 13, 2006

日本人のいじめ好き

いじめを原因とする自殺について。

確かに、いじめに対する捉え方など、教育側の問題はある。

しかし、日本人のいじめ好きの体質はどうも変わらない。
いじめが発覚したときには、校長をいじめる。いじめやすいからだ。

その一方で、なぜかいじめる側が俎上に上ることはない。「自殺をするな」とのメッセージは出されても「いじめるな」とはいわない。

問題は2つある。

ひとつは、明らかに犯罪的ないじめっ子がいる。これはいじめ以前の問題だ。社会として厳正に対処すべきだ。

もうひとつは、いじめに対する感受性の低さ。いじめの苦しさはいじめを受けたものにしかわからない。

いじめる側やその親に疑似体験でもしてもらうしかない。いじめっ子をいじめるキャンペーンでも張ったほうがよい。それが理不尽であればあるほど、いじめの本当のつらさを思い知らせることができるだろう。

「いじめに負けるな」などと言っているやからは、いじめられたことのない甘ちゃん・ぼんぼんか、よほど人間的な感受性のない欠陥人間だろう。

いじめに対するコメントを見ると、その人間がいじめる側かそうでないかがよくわかる。そして、いじめっ子が成功している例が如何に多いかがわかるだろう。それが日本という社会なのだ。

金曜日, 9月 29, 2006

英語はお菓子か

新文科相が、「英語はお菓子だ」と言うたとえで、小学校の英語義務化に反対した。

この人は、(1)格差の拡大を狙って英語早期教育を意図的に一部の親に委ねようとしているのか、(2)現在日本人が置かれている言語状況をまったく理解していないのか、(3)国益に害を与えるほどの国粋主義者なのか、いずれにしてもこういう人はすぐに更迭した方がいい。

土曜日, 9月 16, 2006

松本智津夫の死刑確定

松本智津夫の死刑が確定した。報道されているのが事実だとすれば、自業自得としかいえない。弁護団も、単に政治的に利用したかったようだから、妥当な結末といえる。

かくなる上は、一刻も早く執行してもらいたい。

1990年代前半、秋葉原には異様な光景が見られた。

二人ずつ、若い男が向き合い、何かを異様な大声で叫びながらビラを配っている。声は嗄れはて、つぶれて、何を言っているのかさえわからない。あまりの異様さに、道行く人は誰一人ビラを受け取ろうとしなかった。男達は、通行人を相手にするというより、お互い向き合って、自分達だけで延々と声を張り上げ続けていた。それは、傍目にも痛々しい光景であった。

ビラは、近くにあるオウム経営のPCショップのビラだった。

最初は、普通のショップだった。ビラ配りの若者はやさしい声をかけてきて、「近くにオープンしたので是非立ち寄ってみてください」と言った。店に行ってみると、若い店員達が、親切に商品の説明をしていた。「もしよろしければ、買ってください。」、礼儀正しかった。

しばらくして、そのショップがオウムのショップだと言うことがわかった。もちろん、二度と行く気はなくなった。誰もがそう思っただろう。そして、ビラ配りの若者がおかしくなった。

はじめはショップにきてもらいたくてビラを配っていただろう。しかし、そのうちビラを受け取る人がいなくなると、ビラを配ることが「修行」になった。のどをつぶし、自分を傷つけ、声を張り上げ続けることが、目的となったのだ。二人で行動していたのは、互いを監視するためだろうか。

最初のやさしく常識的な対応と、この異様な光景は、どうしても結びつけることができなかった。

これがオウムだった。その後さまざまな事件が起こり、オウムの仕業だと言うことがわかったとき、私はそれをごく当然に受け止めた。その得体の知れない異様さと、身内を傷つけてはばからない様子は、絶対に許容すべきでないものとして、深く脳裏に刻まれていた。

だから、普通の人は誰しも、松本智津夫が死刑になるのを当然だと受け止める。

死刑確定に一役買ってくれたのであまりいいたくないが、今回弁護団の対応はあまりにひどかった。再審申請など、くだらないスタンドプレーは、是非しないでほしい。それが全日本人の総意だ。

日曜日, 9月 03, 2006

NHKは無責任か傲慢か

「失礼しました」は軽い言葉だ。HNKにはわびる気持ちがないようだ。

ニュースを間違えた時にわびないのは、責任回避の意味があるのかもしれない。
だとすれば、NHKのニュースはその程度の真実度だと心してかかる必要がある。

そうでなければ、たんにNHKの傲慢さを示していることになる。