日曜日, 9月 30, 2007

鳩山法相の死刑執行論について

鳩山法相が、死刑の執行にあたって法務大臣のサインが必要な、現行制度を見直すことを提案した。

これはすこぶる妥当な提案だ。時の法務大臣によって、死刑が執行されたりされなかったりするのは、非常に不合理で筋の通らない話だ。

死刑が確定した死刑囚は、死刑に値する犯罪を犯し、それが裁判所によって認定され量刑が決定されたのだ。前提として、殺人によって罪のない被害者が残酷に無念の死へと追いやられている。

その犯罪の結果として死刑が確定したにもかかわらず、法務大臣の恣意性によって生きながらえる期間が異なるのは、まったく不合理というほかない。

死刑廃止論者である亀井議員はこれに真っ向から異を唱えた。しかし、死刑廃止と執行の不合理の問題は別の議論だ。死刑制度が現存する中で、制度の不合理を援用して少しでも死刑囚を生きながらえさせようという魂胆は、姑息以外の何ものでもない。

死刑廃止論を見ていると、被害者の人権がもっともないがしろにされていることを感じる。国民の多くが同じことを感じているはずだ。単純に廃止を議論するのでなく、犯罪予防、被害者救済、そして裁判の公正さに焦点をあわせて議論と努力を続けるべきだ。

日曜日, 8月 12, 2007

朝青龍のことで思うこと

日本人は、外国人とうまくコミュニケーションが取れない。「本当は言いたいことがあるんだが、外人だし言葉もあやふやで、プッツンされたら困るからな。相手が外人だということは回りもわかっているから、ここで何もいわなくても許してもらえるだろう」というメンタリティ。

だから、もし相撲の伝統を重視するのだったら、外国人力士は受け入れない方がよい。また、強さよりも品格を優先すると堂々と言明すればよい。ファンも変わる必要がある。横綱が弱くたって結構。勝負に強いだけで品格のない横綱は願い下げだ。

相撲協会は、大相撲のほかにプロ相撲を創設すべきだ。大相撲は伝統を重んじ、品格を優先して勝負にはこだわらない日本の国技、プロ相撲は勝負を重視するスポーツ。

そもそも長い仕切りやさまざまな所作はスポーツには不要。プロ相撲では、もっと取り組みをスピードアップして、純粋に勝負だけを楽しめるようにする。個人戦だけでなく、部屋対抗の団体戦や、トーナメントなども取り入れて、スポーツとしての面白さを追求する。ギャンブルにするのもいいだろう。番付は不要。各場所の優勝者がチャンピオンとなり、年間の通算成績で順位が決まる。もちろんドーピング検査は欠かせない。

これに対して大相撲は、勝負よりも所作の美しさと格式を追求する。番付は勝敗でころころ変えずに、強さ、品位、美しさ、日常生活態度などを基準に査定を行い、年一回くらいのタイミングで昇進を行う。言ってみれば一般企業の昇進制度と同じような考え方だ。伝統に基づき、儀式としての相撲を執り行う。観客はその美しさを堪能する。力士は、如何に真剣で美しい取り組みを行い、日常生活を含めて品格を養うかを追求する。

プロ相撲と大相撲はひとつの興行で同時に行ってもいいし、分けてもいいと思う。両方見たいファンもいれば、片方だけしか興味ないファンもいるだろう。

力士はその適性に応じて、どちらかに参加する。兼任できる力士が現れれば、それもひとつの話題となるだろう。そして、プロ相撲力士は全世界にオープンとし、大相撲力士は原則として日本人だけに限る。もちろん中には日本に帰化し、品格で認められて大相撲に参加する外国人力士もいるかも知れない。

こういうことを考えていけば、現在相撲協会が抱えるさまざまな問題を解決できると思うのだが、いかがだろう。

土曜日, 8月 11, 2007

空気を読めない馬鹿

民主党の某議員が、クールビスの中止案を言い出した。これには愕然とした。なぜ民主党が勝ったのか、まったく理解していない。そういう馬鹿なことを安部がやったから国民はお灸を据えたのだ。空気が読めないとは、まさにこいつのことだ。

木曜日, 6月 28, 2007

沖縄戦で住民に自殺を強制したのは誰か

日本兵が天皇陛下のために自殺しろと強制したと考えるのは、確かに無理がある。

しかし、情報の漏洩を恐れて自殺を強制したという新聞記事には瞠目した。合理的な理由だ。

したがって、日本軍が住民を投降でなく自殺へ追いやったことには事実だろう。
それが、間接的なマインドコントロールによるとしてもだ。

このことを教科書から削除するのは政治的意図によるものだ。日本がおかしくなり始めている。
監視を強めなければ。そろそろお灸をすえてもいい時期だ。

自衛隊の情報収集

自衛隊がイラク派遣に反対する人に関して情報を収集していたらしい。これは大問題だ。絶対に看過することはできない。

しかし、その後この件はマスコミから消えた。

共産党が最初に指摘したのが悪かった。
共産党が指摘したとなれば、本来追求すべきこともシカトされてしまう。

頼むから共産党(それに社民党)、こういう大事な問題には口を挟まないでくれ。逆効果になる。

火曜日, 12月 05, 2006

北京が変わった?

朝6時、首都高は空いている、とすれば皆80キロでぶっ飛ばす時間帯だ。

今、北京の朝6時、目の前のがらがらの幹線道路を車が粛々と走っている。60キロも超えていない。これはどうしたことか?私のイメージでは中国ではもっと運転は荒かったはずだが。。。 そういえばこちらに来て乗ったタクシーも妙に安全運転だった。

2008年へ向けて何かのキャンペーンが行われているのか。

交通マナーを守る中国人。となれば、ますます日本の立場は危ういだろう。

月曜日, 11月 13, 2006

日本人のいじめ好き

いじめを原因とする自殺について。

確かに、いじめに対する捉え方など、教育側の問題はある。

しかし、日本人のいじめ好きの体質はどうも変わらない。
いじめが発覚したときには、校長をいじめる。いじめやすいからだ。

その一方で、なぜかいじめる側が俎上に上ることはない。「自殺をするな」とのメッセージは出されても「いじめるな」とはいわない。

問題は2つある。

ひとつは、明らかに犯罪的ないじめっ子がいる。これはいじめ以前の問題だ。社会として厳正に対処すべきだ。

もうひとつは、いじめに対する感受性の低さ。いじめの苦しさはいじめを受けたものにしかわからない。

いじめる側やその親に疑似体験でもしてもらうしかない。いじめっ子をいじめるキャンペーンでも張ったほうがよい。それが理不尽であればあるほど、いじめの本当のつらさを思い知らせることができるだろう。

「いじめに負けるな」などと言っているやからは、いじめられたことのない甘ちゃん・ぼんぼんか、よほど人間的な感受性のない欠陥人間だろう。

いじめに対するコメントを見ると、その人間がいじめる側かそうでないかがよくわかる。そして、いじめっ子が成功している例が如何に多いかがわかるだろう。それが日本という社会なのだ。