金曜日, 2月 01, 2008

JT子会社の健康被害事件

JT子会社が中国に製造委託していた冷凍食品に殺虫剤が混入し、健康被害が出た。

そもそもJTは、多大な健康被害をもたらしている会社だ。その子会社が新たな健康被害をもたらしたわけで、さもあらんとでもいうべき事件だ。

これを機に、親会社の健康被害をもっと注視してもよいだろう。

JTの戦略は、国内のタバコ販売を、食品事業と海外タバコ販売にシフトするというものであった。その海外(中国)からしっぺ返しを食らったわけで、因果応報というべきだ。

もちろん、管理体制ができていなかったことについては言わずもがな。そもそも多大な健康被害を垂れ流す会社であるから、その子会社が食品の安全を軽んじていたとしても不思議ではないわけだ。

水曜日, 12月 05, 2007

無思慮な報道が引き起こした悲劇

恐れていたことが起こった。火事で動転した母親が、2歳の子供を4階から投げ下ろし、下の住民が受け損なってその子は重体となった。

先日、同じような火事があり、そのときは下の住民が赤ちゃんを受けとめた。

そのとき、それは美談として報じられた。しかし、考えてみれば、子供を投げるとは危険この上ない行為なのだ。誰もその危険を指摘せず、火事の時には子供を投げてよいものという感覚だけが残った。

この事件は、無思慮な報道によって引き起こされたと言ってよい。

土曜日, 12月 01, 2007

朝青龍の謹慎はどうなったのか?

朝青龍がモンゴルから帰国して謝罪会見を行った。この後冬巡業に参加するという。

謹慎の件はどうなったのだろうか。モンゴルで自分のペースで療養できることが、謹慎なのだろうか。精神的な病気に逃避して、筋の通らないことをごり押しできるとすれば、教育上好ましくないことおびただしい。

横綱としてふさわしくないことは歴然である。それはつまり、巡業をサボってサッカーを行ったことでなく、精神的病気を理由に処分に従わなかった、あるいは「処分を変えさせた」ことがである。

トップというものは大きな影響力を持っている。その影響力をどのように行使するかは、非常にクリティカルな問題であり、常に自戒を怠ってはならない。朝青龍には、その自覚があるとは到底思えない。

これは、別の言い方をすれば、「病気のため引退しなさい」ということなのだ。内臓の病気であれば、力士は引退を余儀なくされる。精神的な病気だからといって、病気であることに違いがあるわけではない。朝青龍は、「横綱を続けられないほどの病気にかかった」ことを露呈してしまったのだ。

病気だから大目に見てもらえるだろうという甘えは、トップには通用しない。

土曜日, 11月 03, 2007

歴史に残ること

中日の監督が、日本シリーズで8回まで完全試合をしていた選手を9回に交代させた。

それほど勝ちにこだわったとも、最初から最後は押さえのエースに決めていたとも、本人の状態がいっぱいいっぱいだったとも言われている。

ただ、実情はどうあれ、この監督は、史上初の日本シリーズ完全試合をつぶした男として名を残すだろう。2007年の優勝チームの監督としてではなく。

こういうのは、器量の大きさの問題だと思うのは、素人考えだろうか。

金曜日, 11月 02, 2007

船場吉兆の経営者

有名料亭吉兆のグループ会社である船場吉兆が、消費期限や賞味期限を改ざんしていたことが問題となっている。ことは健康にかかわるため、重大な問題だ。

ところが、責任者は「パートやアルバイトが勝手におこなっていた」と説明をしたという。これは問題を把握していなかったということであり、経営者としてもっとも重篤で言い逃れのできない責任を、自ら認めてしまったことになる。

「十分な社内教育を実施していなかった」と弁明すれば、まだましだった。

こういう基本的な経営責任の理解ができていないということは、この人は同族会社のぼんぼん取締役なのだろう。

卑怯なTBS

亀田兄弟の一連の騒動がひと段落して、TBSの社長が定例会見で謝罪した。
興毅の謝罪が功を奏して、世論がひと段落してからの謝罪である。

大毅のひどい試合直後、謝罪やそれらしき意見表明も一切なしに、手のひらを返すようにTBSワイドショーの扱いが変わった。その変わり方は異常ともいえた。

そして今、亀田兄弟がまだ使えると判断してのことだろう。謝罪とみせかけ、自社の商品であることをアピールに出てきたわけだ。

信じられない厚顔無恥だ。

視聴者は、このことをよく心にとどめておくべきだ。このような局が制作する報道番組は、信用するわけにはいかない。

日曜日, 9月 30, 2007

鳩山法相の死刑執行論について

鳩山法相が、死刑の執行にあたって法務大臣のサインが必要な、現行制度を見直すことを提案した。

これはすこぶる妥当な提案だ。時の法務大臣によって、死刑が執行されたりされなかったりするのは、非常に不合理で筋の通らない話だ。

死刑が確定した死刑囚は、死刑に値する犯罪を犯し、それが裁判所によって認定され量刑が決定されたのだ。前提として、殺人によって罪のない被害者が残酷に無念の死へと追いやられている。

その犯罪の結果として死刑が確定したにもかかわらず、法務大臣の恣意性によって生きながらえる期間が異なるのは、まったく不合理というほかない。

死刑廃止論者である亀井議員はこれに真っ向から異を唱えた。しかし、死刑廃止と執行の不合理の問題は別の議論だ。死刑制度が現存する中で、制度の不合理を援用して少しでも死刑囚を生きながらえさせようという魂胆は、姑息以外の何ものでもない。

死刑廃止論を見ていると、被害者の人権がもっともないがしろにされていることを感じる。国民の多くが同じことを感じているはずだ。単純に廃止を議論するのでなく、犯罪予防、被害者救済、そして裁判の公正さに焦点をあわせて議論と努力を続けるべきだ。